祈りとは、心を神に上げること あるいは 神のみ心にかなう善を神に願うことです。
キリスト教の祈りは「黙祷」ではありません。
いつくしみ深い御父である神、その御子イエス・キリスト、そして御父と御子の心のうちに住まう聖霊との、人格的で生き生きとした語らい(対話)です。
どこでも祈ることができますが、適当な場所を選択することは祈るために大変重要です。
教会は典礼の祈りと聖体礼拝のための場所であり、祈りにふさわしいしい場所です。
特にイエス・キリストが実際に現存しておられるご聖櫃の前は、念祷を通して個人的に語らうに相応しい場所でしょう。
カトリック教会の伝統では、
口祷
黙想
念祷(観想的な祈り)
を重視してきました。
黙想とは、何よりも聖書の神の言葉から始まる、祈りのうちに行なわれる内省です。
黙想する時には、聖書(特に福音書)、聖画像、当日ないし季節の典礼文、霊的書物などを用います。
黙想する時には、知性、想像、感情、望みを働かせ、わたしたちの信仰を深め、心を改めさせ、キリストに従う意志を強めるようにします。
聖テレジアは、「念祷とは、わたしを愛しておられる神としばし語り合う、友愛の親密な交わりです。わたしたちはその神から愛されていることを知っているのです。」と語っています。
暇のある時に念祷をする、というのではなく、主(神様)のために毎日時間を作って語り合いましょう!友人同士が語り合うことを通してお互いの理解を深めることができるように、念祷を通して主のことをより理解し、主が我々を愛しておられることや、主がお望みのことを知ることができます。
念祷には、健康や仕事や気分とは関わりなく、いつでも入ることができます。